「TRIGUN STAMPEDE」見ながら思ったこと 変わったのは視聴者かもしれない

「TRIGUN STAMPEDE」見ながら思ったこと 変わったのは視聴者かもしれない

時代は変わっても変わらないものがある。

とか言うと、なんかすごくいいこと言ってる感じに聞こえるんだけど、昔のものでも時代とともに廃れることはあります。

音楽とかでも昔の曲聴いて、あれ? こんなショボかったっけ? って思うことあるでしょ。

逆に今聴いても良いと思えることもあって、その辺の差はアニメにも当然ある。

 

映像は新しいけど、内容は古い

新しいTRIGUNの印象はそんな感じ。

ちなみにこれを書いてる時点では5話「祝福の子供」まで視聴済み。

最初のアニメ、映画も見た上で今のTRIGUNを語るとするなら、多分悪くない。むしろいい。少なくともTRIGUNのファンは喜ぶと思う。原作派の人からも好評である。

ただ新規勢は主人公のキャラクター性に疑問を持ったり、否定的に見ているようだ。

ニコニコとかは特にコメントがダイレクトに流れるので、シーンごとのリアクションが表情が見えるようで面白い。

映像に関しては褒め称えられていて、むしろ過剰なぐらい評価が高い。最近見たルパンとキャッツアイのやつより優れているのだから、週1アニメとしては上々の出来と言える。動きもいいしね。

 

とはいえやはり主人公の立ち回りに好感が持て無かったり、守りたい気持ちと守れていない現実のギャップに嫌気が差す感じにはなってる。

そこは新規勢と同じ気持ちだが、しかし同じ気持ちであることに少し違和感がある。

というのもヴァッシュ・ザ・スタンピードの性格は過去アニメと違いがないからだ。

当時否定していなかった主人公を今見て否定するというのも妙な話で、なんでこいつに全く共感できないんだ? と不思議に思った。

 

むしろウルフウッドの思考回路の方が共感できる。

綺麗事で人助けは出来ないし、降りかかる火の粉は払わねばならぬ。って感じ。

で、思い立ったのがTRIGUNのテーマが変わって合わなくなったのではなく、変わったのは見ている”側”なんじゃかなって。

要は音楽の喩えと同じで、当時良かったものを今良いとは思えないこともある……みたいなこと。

「助ける」という言葉にしたって、言葉にすることで後に憎悪に変わることを、その展開をすでに知っている。結果を見る前に結果がわかる。嘘だったときのことを想定するようになってるから不快に思うわけだ。

 

もうひとつの可能性

昔からヴァッシュを嫌いだった可能性もある。というか最初は嫌いだった気もする。

でも途中から好きになった。それはウルフウッドや女達(前作にはデカい女もいた)もヴァッシュを認めていき、視聴者としても共感していったような気もする。

つまり新規の人たちもこれからヴァッシュ・ザ・スタンピードというキャラクターを好きになっていく、そんな気もする。

むしろ気しかしない。

まあだから、なんだかんだ言っても見ますよ。展開は読めてるけどね。誰が死んで、誰が残って、誰が何を語るのかもわかってるけど。

ぶっちゃけ作品というより作品を見ている人たちを見届けたい。イライラしてる人も最終的にヴァッシュに同情するのではないか、彼を批判している人にイライラするんじゃないか、そんな景色を想像している。

 

 

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