【映画考察】『ジョーカー』どこまでが妄想なのか

【映画考察】『ジョーカー』どこまでが妄想なのか

主観で見れば、ヴィランもまたヒーロー。

富裕層の敵は、貧困層の味方。

って、ちょっと出来すぎやん?

バットマンの宿敵にはそれにふさわしいバックボーンが必要だった――というジョーカーの妄想かもしれない。

 

不幸な人にほど刺さりやすい

この作品は満たされている人にとっては面白みの無い映画だろう。ジョーカーの魅力が伝わらないのだから。

反面、理不尽な目に遭うジョーカーと、そのジョーカーの反撃に心が救われる人がいたりもする。

ジョーカーはルールを守らない側にいるため、彼を否定するのは常識的な感覚。しかしそういったルールで守られていない人達からするとジョーカーの行動に共感を覚える。

……というのが普通の感想。

 

この映画の主人公はいわゆる『一般的な異常』なので、こちらも異常な視点で見るのが良いのかもしれない。

ジョーカーの人生は作中では劇的過ぎる。有り体に言うと嘘くさい

不幸な生い立ちの人間が、似た環境にいる者たちに支持される――なんて、不幸な人間(キャラクター)の妄想としてはひどくありがちだ。

であるならば、そういう妄想に取り憑かれた人間が作った物語と捉えたほうが自然だ。

この物語の大半がジョーカーの妄想なのかもしれない。

 

銃による抵抗ですら妄想

これはおそらくエリート社員。それもウェインの部下を殺す口実が欲しかったのだと思う。

やってることはいじめられっ子がいじめっ子を倒すとあんまり変わらない。

ただそれに彼なりの正義を付け加えたかった。

リボルバーなのにリロード無しで8発は撃っている――が、それはミスじゃない。妄想の中なら撃てるのだ。

まあリボルバーでも8発以上撃てるのもあるけど。

 

絶望とは希望から生まれる

ベタなセリフ。

しかし演出として明るい材料を用意するのは作品としては自然だ。

 

このシーン、すごく明るくてね。びっくりした。

クビになる=新たなる希望。

ジョーカーにとっての希望は富裕層やヒーローにとっての絶望かもしれないが。

数奇な人生もまた主役にとっては必要な要素だろう。だから描かれていると考察してみる。

 

まあ営業中に銃落っことすのはさすがに無理あるけどな?

ネタに行き詰まった漫画家か、君は。危なくなったら偶然に頼るやつな。

ジョーカーには天才的頭脳があるけど、話作りの才能はあるいは無いのかもしれない。

 

ブルース・ウェインはただの強盗に殺されている

バットマンで腐るほど出てくる回想シーン。

本作にも出てきたのだが、それがただの強盗ではなくピエロに置き換えられていた。

因縁がある方がバットマンの宿敵にふさわしいとジョーカーは考えたのだ

自分が起こした暴動に巻き込まれて、両親が殺される方が彼にとっては喜劇なのだ。

 

パトカーで連行されている際に「お前のせいだ(街が燃えているのが)」と言われ、ジョーカーが満面の笑みで答える。

「そうさ」

自分の影響で暴動が起きていることが嬉しくて楽しくてしょうがない。そこが彼の本性なのだ。

ジョーカーの主観ではジョーカーが正義であり主人公。

ラストの病院でのやり取りも込みで、おそらく妄想なのだろう。

妄想といってもノンフィクションを謳った映画みたいなものかもしれないし、あるいは芸人の言うところの「盛った」笑い話なのかもしれない。彼はコメディアンだからね。

 

 

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