ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

映画の評価及びレビューです。

ブラッド・ピットとレオナルド・ディカプリオが共演し、監督はあのタランティーノ。そりゃ傑作が生まれるでしょ。

とは限らないわな。

 

知っていることが前提の映画

この映画を100パーセント楽しむには、前提として過去のアメリカの映画業界を知っておく必要がある。その『前提』はハードルが高く、日本人向けの映画とはとても言えない。

主演のふたりは俳優とスタントマン。アメリカの背景を踏まえると共に『落ち目』という設定となっているのだが、この時点で少し難解だ。

スタントマンが落ち目なのは分かる。が、レオナルド・ディカプリオ演じる俳優が落ち目と言われてもピンと来ない。日本的感覚でいうところの落ち目に比べると華やかすぎる。悪役とはいえ有名作品に出ている時点で日本の俳優の何倍ものギャラをもらっているだろう。スタントマンに関しても立場が危ういに関わらず妙に堂々としていてまったく弱さがない。カッコいい俳優がカッコいい役を演じているようにしか見えない。脱いでもカッコいいし。落ち目なのに隙が無さ過ぎでしょ。

しかしアメリカ人からすれば、彼らが共にこれから消えるだろうことを知っている。その前提を元にして見ている。

 

シャロン・テート

準主役の女優。ただこれも事前知識がないとピンと来ない。なんとなく登場頻度の多い美人ぐらいの感覚だ。

アメリカでは彼女が不幸になるという前提でこの映画を見ている人が多かっただろう(実際はそうならなかったが)。この辺の感覚は歴史を知っている人が大河ドラマを見る感覚に近いかもしれない。

この作品は随所にそういった『過去のアメリカ』を意識したシーンが多く、何も知らない状態で見てもイマイチ共感ができない。ある意味不親切な作品と言える。よほどの映画通じゃないと『そういう時代だった』と共感はできない

 

ちょっとした違和感

終盤に元々あったタランティーノっぽさが出てきたが、そこが返って浮いていたように感じた。犬が噛み付くシーンとか結構好きなのだが、前フリが無いから違和感がでてしまう。これは序盤に暴力シーンがなかったからだ。布石があれば終盤の諍い(なんてレベルではないが)も自然だっただろう。

未成年に誘われるシーンにも違和感。あの時代なら誘いに乗ってフェラをしてもらっていたはず。というより普通にカーセックスしていたはず。絵的に性的シーンを見せないのは逆にリアリティがない。現代社会への忖度のように感じた。これは1960年代の設定。乱れているほうが正常なのに。

 

 

少女に褒められた時のリアクションは良かった。