6部はプッチ神父が主人公【ジョジョの奇妙な冒険】

6部はプッチ神父が主人公【ジョジョの奇妙な冒険】

“親友”の為に天国に行く方法を追い求めた純粋な悪。

承太郎という強敵を倒すために20数年ものあいだ苦心し、そしてようやく記憶を手にし、あまつさえ親友の仇を討つ為にスタープラチナのディスクを奪う。

しかしその挙動はやり手の詐欺師に遭った初な女性のようでもあり、哀しくも見える。

彼のこの一途さと愚かさを踏まえてみると6部はとても面白い。

 

若き日のプッチ

後に神を愛するようにDIOを愛するプッチだが、意外なことに若き日の彼はかしこまった態度で彼に接しているわけではなかった。

DIOを匿ったという前提もあってのことなのか、あるいはそれこそ若さなのか、ともあれ敬虔な念があるというより友人に対する接し方であり、一見するとDIOと対等の存在のようにも見える。

天国の話をされた際に「妙な顔をするな」と言われていたが、これはDIOの言うことを盲目的に見ていないことを示唆している。

少なくともこの頃のプッチには”自分の考え”というものを持っていたと言えるだろう。

 

DIOの洗脳教育

6部のDIOはなにか違う……という意見がある。

親友、友達といった言葉がふさわしくない悪のカリスマであるDIOに、プッチとの過去のやり取りは違和感があるという否定的なものだ。

DIOはクズであり、自分以外を信用していない。その彼に親友がいたということが後付けに見えたとしても仕方がない。

が、これは間違いである。

DIOにとってプッチは数多く存在する利用できる駒のひとつに過ぎないのだ。

 

DIOは言葉巧みに人を操る。

「君ならわたしの言ってる事がわかると思うが」と、彼にそう言われれば自分が特別な存在であると勘違いするのはコーラを飲んだらゲップがでるぐらい確実だ。

 

「助けが必要だ」

しかしDIOは命令しない。尊敬する存在に求められた人間がどのような行動を取るか知っているからだ。

「話して心が落ち着く人間がいるなんて思ってもいなかった」

彼の本性を知っている人間からすればこれが嘘であると断定できる……と断言したいところだが、読者ですら騙されかねない迫真の演技だ。

DIOにもこういう一面もあったのか、と騙された人もいるだろう

 

プッチの感傷

「「承太郎のスタープラチナ」を奪ったのはただの親友の敵を討つというわたしの感傷にすぎない」

利用価値は無くはないが、天国へ行くのに必要なものではない。

 

本来であれば承太郎の心(記憶)だけで十分なところを、あえてDIOの無念を晴らすために行動した。

ここがプッチ神父のおかわいいところである。

 

DIOが亡くなってから20数年が経っている。

そのあいだ承太郎の記憶を奪う計画を経て、それを実行に移したところから物語は始まるのだ。彼の物語が。

 

無敵のスタープラチナとそれを操る有能な本体。

彼をはめるために、それも親友の為に半生を費やしたと考えるとなんともかわいらしいじゃあないか。

20数年……正確には22年間ものあいだ計画を練っていたのだ。

これはこれで友愛と言えるんじゃあないか? たとえ利用されていたに過ぎないとしても。

 

まとめ

プッチ視点だと空条承太郎は強敵として君臨し、徐倫はとびっきりなイレギュラー。彼は彼で苦労していた考える。

悪は悪なので人間讃歌がテーマであるジョジョの世界からすれば滅びることが当然であり必然ではあるのだが、友情でここまで頑張ってきた彼に同情する人間がいても良いのではないか?

しかもその友情は真っ赤な偽物であり、一方通行である。悪でありつつも悲劇のレールを無自覚のまま走っていたのだ。

彼もまたDIOの被害者と言えるだろう。

 

とまあ、個人的な見解で、間違っていたらすまぬ。

しかしプッチ神父を主人公に見立てると違って視点で楽しむことができるのは確かだ。

アニメも配信されているこの時代、こういう楽しみ方もあると主張しておきたい。

 

 

(C)LUCKY LAND COMMUNICATIONS/ 集英社・ジョジョの奇妙な冒険GW製作委員会