【ドラマ】『3年A組―今から皆さんは、人質です――』雑感
- 2019.03.12
- 国内ドラマ
2点。
菅田将暉劇場としては5点。
言葉の重み
SNSというワードがよく出てきた印象。そこでの発言に左右されて傷付く人もいるとか、そういう台詞を導入するために使っていた感じかな。集団いじめもネット経由でってのはあるから間違いではない。
しかしながらSNSがなかった時代でも似たようなことはあったので、追い込まれて自殺する人はいたので、直接的な理由にはなっていない。
脚本家が古いタイプの人間で、SNSが世の中にあるツールの1つでしかないってことを全く理解していない。
お前たちの無責任な言葉で傷つく人間もいるんだぞ――みたいな台詞が出てくるのだが、その台詞自体に重みが無いというオチだった。むしろ生徒の命をネタとして使っているような、そんな印象が強い。
『悪意』というワードも出てくるのだが、悪意というなら、こういう作品を作った側にこそある。SNSで誰かが死ぬこともあるだろうが、実際には大人に殺される子供のほうが圧倒的に多い。何より人が悪いことはあってもSNSが悪いということない。SNSが人を使うのではない。人がSNSを使っているのだから。
これ見て学べない奴はダメ――とか言うヤツはバカ
ネットの情報には嘘もあって、その嘘で傷付く人もいると、それを伝えようとしている――みたいな感想が多くて、ちょっぴりうんざりした。
むしろこの話は本来であればSNSの情報を鵜呑みにするな……ぐらいで済む話だ。そしてそういう議論は過去に充分過ぎるぐらいされてきた。
逆光している。題材に『SNS』を選んでいるだけで、内容はひどく古い。
そしてこれを見てSNSって危険だよね……みたいなことを言う奴も古い。古いタイプの人間だ。それはもう自動車って危ないよね、だから気をつけて乗りましょう、と言っているのと同じだ。そんなものは利用する前から理解しておくべきことじゃあないのか。
ちなみに犯人は私達(視聴者)――みたいなこと言ってる奴らもバカ。
まとめ
人の死で1クールも使うなよ。
そして菅田将暉への依存が過ぎる。これもう菅田劇場といっても過言じゃないだろ。一応生徒にスポットを当てたりもするんだけど、それぞれには記号的な役割しかない。菅田将暉に言わせたい台詞があって、そのために生徒が必要といった構成。生徒それぞれに否がなかったら成立しない話である。
先生が生徒に良いことを言っている感を押し付けてくるが、しかし無責任というのであれば、あれこれ言い分が変わる大人の方である。それを見て育った子供達が教室にいる生徒達なのだから、突き詰めれば大人や学校側にも落ち度があるとも言える。無責任な大人が多く存在する箱庭で、生徒にものを教えるという構図を生み出すというのはある種の責任転嫁と言えるだろう。
それこそ大人が作ってるから、若者への理解度が足りてない。スポーツで大活躍した人間が、SNSで追い詰められて自殺するかどうか、考えれば分かるだろう。若者に限らず真剣になにかに取り組んでいる人間は、周囲の言葉に振り回されたりはしない。これを作っている人間は必死になにかをしたことがないのだ。だからそういう人間の気持ちがわからない。取り上げるなら何も成し遂げたことがない若者にすべきだった。それならば自殺した理由にも納得が行く。
クソみたいなドラマだと思いました、まる
SNSが普及される前、あるいは直後であれば見方は変わったかもだけどね。
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